奇跡への予感
『1000人達歩』が何故100人でも、10人でも、10000人でもなく1000人なのか?
よく訊かれますが、このセンニンという音の響きに惹かれてというのが一番の理由です。
仙人や選任や線人みたいな言葉遊びの伏線も実はあるのですが、何と言っても『音』です。
上山に来たのも、代表の方の声の響きがきっかけでしたし、『意味』よりも『音』で動くことのほうが自分にはしっくりくることが多いです。
それは目に見えない、理解を超えた奇跡を信じているからかもしれません。
この世界には沢山の次元がパラレルに存在しているって思っていて、多くの大人は『意味の世界』で動くのですが、子供の世界ってそうじゃなかったと思うんです。
もっとよくわからない何かで動いていて、でもど真ん中だったと。
知識や経験が『意味の世界』を作りだして、どこかもう一つの世界を忘れさせている気がして…。
奇跡は常に起きているのに気付かなくなっている気がして…。
とにかく、『1000人達歩』という響きに未来や奇跡を予感したのが始まりです。
意味は後からついて来ました。