言語感覚
感覚の源に影響を与えるのは『音』と『抑揚』
音は長さと響きであり、抑揚は強さと音と音の相対力である。
言語が持つ『音』と『抑揚』の感覚の違いはそれぞれの言語を使う民の感覚の違いにも関係する。
達歩という言語感覚がある。そう捉えている。身体感覚でもある。
自然界の『音』と『抑揚』に感性を開くと石の言葉や水の言葉、海の言葉が聞こえてくる。
達歩はそうした言葉の要素を皆と共有する為に伝えている。
先人の知恵や西洋の音階や東洋の陀羅尼や私の経験智や身体というフィルターは通すべくして通している。
私と皆との響き合いのバランスを考え、作品を作り、またバランスを見ては作品を変化させている。
言語が時代と共に変わるように。
たくさんの人との関わりが作品を作りあげ、新しい言語感覚として未来を創る。
フライヤー出来ました!
日々の積み重ね、一人一人の積み重ね
練習を積み重ねたものだから価値がある。
1000人という器に入れていきたいのはまさに
日々の積み重ねと、一人一人の積み重ねです。
それは日本人として、一人の人間として、達歩団というチームとして世界に誇れるものです。
政治でも、経済でもなく、音と身体でこの世界に道を作っていきます。
女子アナが1000人達歩に挑戦
動く人?動かない人?
地域に飛び込んで、『一緒に踊らない?』っていうのが、今の『1000人達歩』の一側面だったりするのですが、いい、悪いは置いておいて、
そうやって動いていると、個や地域や世代や国の固まった在り方が『どうでもいい』って感じるのです。
『なるようになるだけ』
で、
『動く人』と『動かない人』がいるだけなんだと思うわけです。
無理に動かそうとしてもしなくてもいい。
『一緒に踊らない?』くらいでいい。
どちらでも、『動く人』は動く。
『動かない人』は動かない。
『1000人達歩』は『動く人』のパフォーマンス。
それだけで十分素敵。
どうせ動くなら、より広く、より深く楽しもうよ。
どうせ踊るなら、心から踊ろうよ。
どうせなら、いろいろ気付こうよ。
自分の身体はどう?
地球はどう?
音は?リズムは?
って感じで、創造と発信を続けています。